銀英伝ボード
ダゴン会戦・・・他
昨日書き込みをした後、思い出したのですが、ダゴン会戦を代表例とする包囲せん滅戦のモデルとなったのは、古代ローマとカルタゴにおける第2次ポエニ戦争の時のカンナエ(「カンネー」とも言う)の戦いや、「現代のカンネー」とも言われる、WW1時のタンネンベルクの戦いがモデルとなっているのではないでしょうか? また、ラグナロック作戦におけるフェザーン回廊突破のモデルは、WW1以前のシュリーフェン・プラン及びWW2時のマンシュタイン・プランではないかと思います。特に、マンシュタイン・プランによって、当時難攻不落と言われた大要塞マジノ・ラインが、その背後に敵に回り込まれてしまい無力化されてしまったところなど、参考になっているように思います。 それから、裕太郎さんがご指摘されたとおり、ナポレオンの得意技は、兵力の集中と各個撃破でしたが、彼の軍隊は最後は逆に各個撃破の対象となり、没落してしまいました。 最後に余談ですが、先に書きましたタンネンベルクの戦いの立て役者たるパウル・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・ヒンデンブルク(長い名前!一般的にはヒンデンブルク)が、ドイツ帝国軍の参謀総長に就任してから大本営が置かれた
場所は、バート・クロイツナッハと言う温泉保養地です。
以上、またまた長々と書いてしまいました。失礼しました。
00/05/05.01:37 コポパパ <takayuka@dike.dricas.com>
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