銀英伝ボード
国家<社会
個人的な意見を述べさせてもらいます。
ヤンが言いたかったのは、人民の一方的犠牲を前提にした国家などは必要ない、ということだと思います。
「社会」とは、人間が生きていくために必要な人づきあいや相互扶助のことを言い、「国家」も「社会」の一形態にすぎません。
つまり、「国家」の存在意義とは、所得の再分配や公共的な仕事を効率的にこなす、というところにあって、極論すれば、「国家」がなくても、これらのことがうまくできるのであれば、「国家」などは必要ないということです。
「国家の存続という大事の前には、一個人の権利など価値がない」
こういう論理がまかり通る「国家」など、必要ないと思いませんか?
ちなみに、この時代には混血が進み、「民族」というやっかいなものがなくなっているので、現代の「国民国家」という概念と同じように考えると、ヤンの意見には違和感を持つ人がいるかもしれませんね。
00/07/18.12:55 のほほ <jichi@mud.biglobe.ne.jp>
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