銀英伝ボード
RE:オーベルシュタインの問いかけ
ライ達は「民衆の味方」であるとの大義名文として「民衆を守る」事はあっても、
「民衆を犠牲にしない」という意義は薄かったと考えます。
理由としては、アムリッツァ会戦前の焦土作戦において、キルヒは異論を唱えて
いません。「民衆を犠牲にしない」とか、「民衆のために」という意義を重んじるな
らば、焦土作戦は行われなかったのではないでしょうか?
キルヒアイスの方がより「大義名文」を重んじていたとは思いますが、民衆と
は、有力貴族の後ろ盾が無い自分達の「政治的基盤」であり「味方に付ける存在」以上
の意味は無いように思います。
キルヒの「やるべきことをやらなかった」とライを非難したのは、民衆第一の考え
では無く、民衆の犠牲を出さなくとも勝てる戦で民衆を犠牲にするのは大義名文に
外れるから非難したのではないでしょうか?
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