かわにゅーす
富士山行2002
パートナー
富士山に登ってきた。相方との集合場所は富士山麓の河口湖駅午前5時、
午後3時
ちょっと早めに行ってみたらば、雨がぱらぱらと。。うーん不安だ。
でも、落ち合った頃には富士山も上の方まできれいに見えるようになっていた。
河口湖駅前のお店で、山小屋の予約と弁当と金剛杖を買って、バスに乗ってGO!
予約は入れるけどどこの小屋に泊まってもいい。すいていればいれる必要なし
小一時間ほどで5合目に到着。おお、晴れているではないかぁ!よっしゃあ!
標高2300m
ということで、さっそく登り始めるのだった。
ところが登りはじめて見ると、風邪がめちゃくちゃ強いということが判明!
登れば登るほど強くなって、6合目を過ぎる頃には風速30メートル以上に!
風速20メートル
ぐおお、耐えられんぞ!飛ばされちまう!!ていうか、飛ばされてる人が
4,5人います!
いません
これは前線が南アルプス、富士山から20Kmの地点に停滞しているためで、
前線は日本海にいました
風が前線に向かって吹き込んでいるらしい。
唯一救いなのが、この吉田口の登山道は至る所に山小屋が山のように建って
いるから、休む場所には困らないということ。実際、頂上に至る道に20軒もの
小屋が建っているのだ。
で、とりあえずの目標地点の7合目東洋館にご到着〜。
すでに日も暮れて暗くなっているし、ここで初日はやめてもいいのだが。。
相棒と相談。もうちょっとがんばれるな、このペースなら……。
いくか。
いこう。
そういうことになった。
急速に暗くなっていく山道、百鬼夜行のようなおじさんおばさんのパーティー、
そして、ごうごうと吹きすさぶ風。富士山は霊山にふさわしい、おどろおどろ
しい様相に変わっていくのだった。足下はほとんどなにも見えない状態。
じゃりじゃり道に足を取られながら、ようやく8合目の白雲荘にたどり着いた。
標高3250m
夜はすでに更けて8時になっていた。普通の山登りなら8時はとっくに小屋に
ついて寝床に入っている時間だ。だが、そこから見下ろす河口湖、富士吉田、
そして御殿場の夜景は美しくただずんでいた。400円のみそ汁を頼んで、
カップみそ汁。ちなみにペットボトルのお茶も400円、
夕食と頼むと、レトルトパックカレーが1000円で出てくる
麓で買ったおにぎり弁当を開く。ウメボシ入りのシンプルなやつが3つ。……次
来るときはコンビニでおにぎりを調達しようと堅く心に誓うのであった。
9時就寝。疲れているはずだが、鉱山病のためか、せんべい布団のためか、
いまいち寝付けない。うたうたしていると、夜中の2時にえらく騒がしくなる。
ご来光をてっぺんで見ようというパーティーが起き出したのだ。いや、起き
出すのはかまわんが、普通にべっちゃくれないで、もうちょっと遠慮して
??。よい子はまねしないようにね
しゃべれよ、おばはん。
再び静かになった後の4時起き。こちらもご来光を拝みに外に出る。
やったね!晴れてるじゃん。
空は明るくなりつつも、地表付近は雲が覆っていて、どうやらその向こう側には
太陽がのぼっているみたい。なかなか顔を出さない。みんな風に吹き飛ばされ
そうになりながら、今か今かと待つこと30分、ようやく太陽が顔を出した。
それを見守る人々の間からハレルヤの大合唱が!!どうやら合唱部も登っていた
らしい。
そんなのはありません
食欲はないが、小屋で1000円で買った赤飯弁当をちょっとだけ食べて、
頂上に向かってGO!
ぐおおお!!昨日よりも風がきついぞ!!でも、明るい中で登っているから、
まあなんとか。。
山小屋をいくつか通りこして、頂上が見えてきた。あれが……富士山!
そこまでの距離は400mに見えるだろうか。一歩一歩を踏みしめながら
登り、ついに頂上にたどり着いた!!! 鳥居を通り越して出てきた場所
↑ここに写っているのは一緒に登った相方
には神社が、そして縁日の出店の集落が!
ご休憩所兼売店
神社で杖に刻印を押してもらったので、杖はレベルアップ!これで穴掘りの
杖になった!
なりません
さっそく富士山の噴火口「お鉢」をのぞき込もうとする。ガ!これが命がけの
冒険となった!そう。頂上は風がさらに強く、その風速はすでに50mを
30m以上はあったかな
越えている!一歩一歩がこれほど重かったことがあったろうか?いや、なかった。
相方とかわさきは噴火口のふちまで歩を進め、決死の、そして、知られざる
富士山噴火口の写真を撮影することに成功したのだった!
「これで、なにも思い起こすことはない」
すさまじいばかりの風に意識が遠のき、そして、かわさきがまさに吹き
飛ばされようとした刹那、この世に生まれてきたときのことが走馬燈に
なって駆け上がり、そして、誰かの手が私の腕をつかんだ!
「だめだ!こんなところでくたばったら、下界に残して来たあの娘は
どうなるんだ!」
力強く、そして、かわさきを引き上げたのは相方だった。
たお
……そうだ。おれはこんなところで斃れるわけにはいかない…
妙な創作をしないように
で、神社にたどり着いたのは午前7時、嵐のごとく風は強いが、ここが日本の
最高峰ではない!そう。お鉢をぐるっと小一時間まわったところにそれは
あった。いまは使われていない白い天文観測所、そして、その地下には
測候所
日本征服を目指す、アンドロメダ星人の秘密基地があると言われる。
そんなものはない
あそこまでいかなければ、本当に日本を征服したとはいえない。相方と私は
意を決して、お鉢巡りの旅に出発したのだった。この神社に、生きて再び
戻ってこようと。そして、フルーツポンチの缶詰を食べることを誓って。
その旅はこれまでのソウタイセイとも言えるものだった。風に
集大成
飛ばされるひとは24人は見ただろうか。ある人は、果てしない山肌を
転がり落ちていき、またある人は、噴火口へと消えていった。両方に言える
ことは彼らとあうことは二度とないであろうことだ。いや、もしも自分が
落ちれば会うこともあるかもしれないが、そうならないことを切に祈った。
だからいないってば。妙な創作は減点対象。注意!!
そして、ついに富士山の最高峰・剣が峰が目の前に迫った! ごうと吹きすさぶ
風のなかで、その峰は我々の登頂を防ぐがごとくに孤立していた。登るごとに
足下の砂利が我々を押し戻そうとする。かわさきはレベルアップした雷の杖を
してません。ついでにさっきと言ってること違うし
駆使して、リポビタンCのCMのごとく二人協力して、ついにそこにたどり
D 標高3776m
着いた。そこは聖なる雰囲気とは無縁のところであった。だが、測候所の
望楼へとたどりついた我々に、世界は広がった。八ヶ岳、甲斐駒、北岳、
間の岳、塩見岳。われわれに征服されるべき山々がそこに横たわっていた。
吹きすさぶ風を忘れて、我々は感慨深げに、無言のうちにそれを見つめ続けた。
だが、これ以上そこにとどまることは死を意味した。体感温度−30度の風は、
大げさすぎます
我々の体温と体力を容赦なく奪い、地表の20%しかない酸素が我々の
70%くらいはあるんじゃないの?
体力の回復を遅らせる。MPのつきたかわさきにはヒーリングの魔法も
かけられない。我々は後ろ髪を引かれる思いを背に、白い測候所を後にして、
お鉢巡りを再開した。
ほどなくかわさきが発見したのは、なんとオニヤンマだった!このオニ
ヤンマは日本の最高峰に到達した数少ないトンボのうちの一匹だろう。
これはホント。確かにいました
毎年、1万羽ものトンボが富士山を目指し、そのほとんどは頂上にたどり着く
前に力つきる。このオニヤンマは頂上にはたどり着いたものの、ついに
こっちはウソ
降りる力は残っていなかったのだ。ひどく衰弱していて、飛ぶことも
できない。これはいかん!ということでさっそく保護する。だが、手に
包み込むだけでは暴風に翻弄されるし、かわさきも手が使えなければ山を
下りることはできない。そこで、こんなこともあろうかと用意していた
「携帯用虫籠」に収容、トンボの無事を祈りつつ、神社に向かうのだった。
食べ終わった弁当の空き箱(ごみ)
立ちふさがる万年雪を踏み越えて、われわれは神社に帰着し、神官に
MPを回復してもらったのだった。フルーツポンチの缶詰を予定どおり食し、
ないから
われわれは帰路にたった。午前9時。あと3,4時間も経てば、連休で大量
発生した登山客がここに殺到してくるはずだ。その前に、降りなければ
われわれは3万人の登山客に踏みつぶされてしまうであろう。降りる先の
なりません
須走口・新五合目は、頂上からも確認できる。そこまでがなんと遠い
ことか。
今いる標高が3700m、須走口の標高は2000m!標高差だけで
1700mある。相方も私も体力は限界で、強風で飛ばされた軽石に
全身を貫かれてすでにぼろぼろ。それでも転がってでも帰らなければ
明日はない。相方と私はお互いの目を見やった。
ゆくぞ!
我々は下山道を走り始めた!
登るときには邪魔をした砂利道だが、このときばかりはわれわれの味方と
なった。足への衝撃が劇的に軽減され、かつ、われわれを下に運ぼうとする。
あとはバランスの問題と、先を往く下山客をうまくかわすだけだ。高山病が
頭を内側から乱打したが、かまわずわれわれは下山道を走った。15分も
走って振り向くと、頂上は遙か上へと遠ざかっていた。われわれは何かを
振り切るように下に目を向けると、ふたたび走り始めた。
須走口に横たわる「砂走り」、それは山肌に対してまっすぐ下に向かう
下山道で、その傾斜は30度とも40度とも言われる。ここでコけたら、
一瞬のうちに麓まで転がって行くであろう。これまでに多くのベテラン
クライマーがこれに挑戦し散っていった。そう。ヤマアラシの弟もここで
力つきたのだ。
変な創作を入れないように! −10点!
その危険きわまるコースにわれわれは入った。それは自信のなせる技か、
無謀のなせる暴挙か。それでもわれわれは急降下爆撃機のごとく走った!
みるみる近づく5合目の駐車場、だが、われわれの体力、ダメージも限界に
来ていた。足にはまめができ、とがった岩が容赦なくそれを襲う。それでも
われわれは一心不乱に下り続けた……。
最初に距離を稼いだのがものを言った。われわれはついに5合目の
バス停にたどり着いたのだ。時計を見ると11時半。下り始めたのが
9時20分だから、2時間と少しで1700mを下ったことになる。
日本でこれができるのは富士山だけだ。スキンミルクよりも濃密な時間が
われわれの頭上を通過していった。時間は全ての人の上に平等に流れた
わけではない。
私は虫籠のふたを開けた。オニヤンマは無事だったが、そうとう
弱っている。どこかに放そうと連れてきたが、標高が下がっても
ついに回復することは無かったようだ。そして、このオニヤンマは
新宿に戻る道程で息絶えることになる。
かわさきは疲れからバスが来るまでの1時間をベンチに突っ伏して
死んだように寝て過ごした。そのとき私はどのような夢を見ていたろうか。
バスに乗るとき見上げると、先ほど登った山が、その頂上まで見て
取れたが、1時間走って御殿場の駅に着く頃には曇り空の向こう側に
消えていた。
02/07/28.21:56 かわさき <kawa@yumei.com>
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