銀英伝ボード
単純化・極端化
確かに、「国家」と「個人(あるいは人民)」は、もちつもたれつの関係で、ニワトリと卵のようなものでしょうが、ここで大事なのは、国家が存在する理由は、
「個人が生きていくための仕組み」
というだけなのに対し、個人が存在する理由が、
「国家を存続させる、あるいは国家の構成員になる」
ためだけではないということです。
つまり、帝国領侵攻の際のウィンザー氏の発言
「全市民が死に絶えてもなすべきことがある」
や、戦時中の日本政府が言っていた
「一億玉砕」
という論法は、やはり本末転倒なのではないでしょうか。
ヤンの発言は、ことの本質を伝えんがための、論法の単純化・極端化なのではないかと思います。
「卿の主張は大胆でもあり斬新でもあるが、極端な気もするな」
とラインハルトも言っていましたが、ヤンの発言にはしばしばこうした面がありませんか?
00/07/25.12:10 のほほ <jichi@mud.biglobe.ne.jp>
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